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「世界を良くする行動と人生」を。

入学式。新シーズン。友達100人できるかな♬→ちょっと待て。歌「一年生になったら」から考える日本の文化と「友達」について

こんにちは!PassionMonsterの神澤清です!

 

季節は春。卒業式を終え、次は入学式や入社式など、新しいステージへ移り変わるシーズンですね。

 

出会っては別れ、また出会う。出会いとは嬉しくも儚くもありますね。

 

桜が咲き、新シーズンが始まるころ、みなさんの頭ではこんな音楽が流れませんか?

 

「いちねんせーいになったーら、いちねんせーいになったーら、ともだちひゃくにんできるかな?」

 

そう。入学式の定番ソング、「一年生になったら」です。

 

ちょっと待ったぁ!!!

 

今回は僕がこの歌にズバッと物申したいと思います!!!

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目次

 

年生になったら

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今回議題に挙がっているのはこの歌です。改めてご紹介します。

 

「一年生になったら」

歌:童謡・唱歌

作詞:まどみちお

作曲:山本直純

いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでたべたいな

ふじさんのうえでおにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと

引用元:http://j-lyric.net/artist/a00126c/l00064a.html 

 

想像は容易です。これを歌っているのはきっと小学1年生。

保育園や幼稚園を終え、新しく「学校」というものに行く。憧れのピカピカのランドセルを背負い、親族からは「わぁー!お兄ちゃん(お姉ちゃん)になったねぇー!」と言われ、自分で歩いて学校に行くという不安とワクワク感。

 

そんな中、想うことはきっと、友達できるかなぁ?ということ。

そして流れてくる、「一年生になったら」。

脳内には「ともだちひゃくにん」というワードがインプットされます。

 

恐らくどの世代も聞いたことのある、とてもポピュラーで有名な曲ですね!

つまり、新しいステージに行ったら友達たくさんできるといいね!みたいな内容で、そのマインドは小学生のみならず、それ以上の年代のどの方も持つものではないでしょうか?

 

達100人。どんだけすごいか計算してみる。

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僕が思ってることを率直に述べます。

 

友達100人なんてできん!!

 

です。

冷静にツッコミますが、学校で友達100人てめちゃくちゃ難しいですよ。

 

僕が小学生のころは、1クラス当たり40人くらいでそれが4クラスなので、一学年およそ160人ですね。

それをモデルに考えると、100/160人。つまり、約63%、半分以上の人間と友達になる必要があります。

そして大体仲が良くなるのは同性ですよね。

男子と女子が半分ずつだと仮定すると、この場合、80人:80人。

 

ここで考えてみましょう。

A君(男の子)がいます。この子が友達100人作るケースを考えます。

男子だけではなく女の子とも友達になれると仮定しても、割合は男7:女3ぐらいだとしましょう。

すると、単純計算、男の子の友達が70人、女の子の友達が30人です。

 

この学年の約87%の男の子、そして約37%の女の子はA君の友達です。

 

いや、番長かっ!!!

 

「友達」というものへの個人の定義にもよりますが、「いつでも電話をかけ、遊びに誘える」くらい(ちょっとハードル高めですが)を友達とすると、A君はもう遊ぶ人には困らないでしょうね。

男の子のみならず、女の子も30人も候補がいるんですから。

 

「友達100人」というものがどれだけ凄まじいものか分かっていただけたでしょうか?

もちろん童謡特有の、ワクワクした要素が入っている非現実的な歌詞であることは重々承知ですが、現実ではこんな感じです。

 

達を「作らなきゃいけない」という意識

はい。とりあえず数字での理論的な屁理屈話しはここまでにします。

 

僕が言いたいのは、この歌から読み取れる「友達が多ければいい」みたいな意識はあまり良くないということです。

そして、この歌って実は日本の文化や風習の、一種の洗脳でもあるのではないかと思います。

 

まず言いますが、友達は決して数ではありません。そして、友達を作ることは大切ですが、「作らなければいけない、いなければいけない」というものでもありません。

 

ですが、この歌から掴むイメージは、「友達っていうのは作るものだし、多ければいいことなんだな!!」というものです。

 

これは、日本人特有の「集団意識の肯定と、マイノリティへの否定意識」を作っていると思います。

 

日本の強みとしてよく言われることが、「団結力の強さ」です。

戦時中には、小さい島国ながらも強い団結力で戦い、他国と肩を並べていました。

そしてポツダム宣言により終戦。日本は戦争により大きな被害を受けながらも、その後またも圧倒的な団結力で経済成長をしていき、他国から賞賛されるほどの技術力を手に入れ、先進国の仲間入りをしました。

 

日本のこの団結力はなんなのか?

それは戦後、「経済成長」を目標とした教育モデルにより植えつけられた集団意識が一つ大きな理由だと思います。集団意識を植え付け、一人ひとりの個性を抑制することによって、国家の目標遂行に当たり、なるべく反発者が出ることがなく、スムーズに政策を行っていくためです。

そして、歌「一年生になったら」は、まさに集団意識を促しているもののモデルだと思います。

 

友達100人という言葉を聞き、友達が多ければ良い、いなければいけないという意識付けによって、集団が形成されていきます。

 

その結果起こるのが、「仲間外れ」「孤独感」です。

 

僕ら人間にはいろいろな個性があります。人と話すことが好きという人もいれば、逆に人と話すことが苦手で、一人でいる方がいいという人もいます。

後者にとっては「友達がいなければいけない」という意識は相当ハードなものでしょう。

 

集団が形成されていくと、必ずそれに入っていけない子はいます。

すると、「あいつあんまり友達いないよな。なんか静かだし」というように、段々と周りから離されていきます。その結果、いじめなどの問題も発生します。

 

友達は多い方がいいという意識は、友達がいるということをステータス化させ、優劣を生みます。

 

繰り返すようですが、友達がいなければいけないということはないんです。

一人でいるのが好きな人はそれでいいし、その人はその一人の時間に自分の好きなことをするんです。個性を磨けばいいだけなんです。

それを続けていけば、いつかは誰かに認められる力がつくかもしれません。

 

なのに、集団意識は、集団に属さない者をマイノリティとし、どこか良くない、問題児として扱います。そして集団内でも、なるべく外れないようにみんなに合わせた空気を読む行動を無意識の内に植えつけられます。個性ではなく集団。

なるべくみんなと一緒。なるべくみんなの意見に合わせる。日本人特有の人格の完成です。

 

この曲の真意が「みんなと仲良くすることが大切」という意味だとしても、小学生はそこまでの深堀はせず、「友達100人」というワードを純粋に受け止めます。

小学生に聞かせるということがミソなんです。早い内に身に着いた意識は定着化するし、まだ低年齢だから意識を植え付けやすいですからね。

 

達は決して数じゃない

 

友達100人なんてできん!!と言いましたが、正確には「友達は数じゃない」ってことです。

 

よくこんなことを言う人がいます。「自分って友達少ないんだよね」って。

 

僕はこのセリフが大っっっっ嫌いです。

 

一体なにを基準にして少ないといっているのか。そしてこれを言う人は必ず一人は友達がいます。なぜなら目の前に僕がいるんだから。悩みとして話してくれているんだから、友達だろという(まあ個人の解釈ですが)

 

そして、他にもいるであろう友達が、本人がそんなこと言ってるの聞いたら悲しくなると思いませんか?僕は悲しいです。

 

裏返してみれば、「今の友達だけじゃ少ない」と言っているようなものです。

 

僕は、友達100人よりも、「腹を割ってなんでも言えて、気が合って楽しくて、こいつならずっと付き合っていける」と言える「親友」が1人でもいることがとても大切だと思います。

 

友達が少ないと思ってしまうのも掘り下げれば、前述した日本の教育や風習に根差した集団意識があるからです。友達少ないって言ってる人、それは日本の空気に「言わされてます」よ。気を付けてください。あなた洗脳されているかもしれませんよ。

 

達のハードルなんて自分で決める

こんなことも言われます。「どっからが友達かってわからない」

 

、、、そんなん自分で決めるんだよ!!!

 

これこれしたから友達で、これはやってないから友達じゃないなんてルールどこにもありません。これは完全に人によります。

 

一回ご飯に行った、すれ違うと挨拶する、という人も友達だという人もいれば、いつも遊んでいて、本当に自分のことを話せる人だけっていう人もいます。

 

どっちもいいんです。どっちもそれぞれ違う良さがある考えです。

ただ日本の風習は、大体後者の人間をネガティブにさせることが多いと思います。「友達少ない」というセリフを言うのも大体後者です。

 

別に正解なんてないのに、「多い方がよい」という意識を植え付けられるからです。「友達100人」というフレーズなどと共に。

 

友達の定義なんて自分で決めればいいことだし、ましてや友達が多いか少ないかなんて基準はどこにもないわけです。

ちなみに僕の基準は「友達って思ったら友達」です。じゃあどうやったらそう思うの?と思いますか?

簡単です。思っちゃえばいいんです。試しにやってみてください。誰か一人思い浮かべて「君は友達だ!!」って。ほら、友達でしょう?(完全な持論(笑))

 

自分が「こいつは友達だ!!」って思ったらその人を大切にすればいいんです。

少ないも多いもありません。見えない周りの空気に植え付けられた物差しで測るのは虚しくなるだけです。

 

シーズン。焦らずゆっくりと

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これから新シーズンが始まりますが、まずは焦らずに。

早く友達作らなきゃ!!と思う必要はありません。自分の中の価値観と、目の前の人たちを大切にすることです。

 

一人でゆっくりしたいならそれでいいし。いろんな人と早く仲良くなりたいならそれでいいし。

 

その中で一人でも本当に信頼できる人に出会えればいいんです。そして一人でいたいならそれもそれでいいんです。

 

空気や風潮に流されず、どれだけ自分の大切なものを大事にできるか。人としての魅力はそこに出ると思います。

 

今日を持って曲「一年生になったら」は、こうしましょう

 

いちねんせーいになったーら、いちねんせーいになったーら、

腹割って話せてこいつだけはって思える親友が一人でもできたらいいな~♬

私は私の価値観に従って大切なものを大事にするわ~♬

 編曲:神澤清