行くだけじゃ足りない?アフリカに来てみて思うこと
どうも、人生初の海外で西アフリカのシエラレオネに来ている神澤清です。
恋い焦がれたアフリカでの生活も4日が経ちました。
出発前に持っていた感情とは今全く別のものを持っています。
今回は、実際にアフリカ、シエラレオネに来てみて感じたことを途中経過として書いていきます。
意外と普通
アフリカに行く前にはいろいろなことを聞かれました。
「服着てるの?」「虫食ってるんじゃないの?」「トイレどうするの?」
僕もいろいろ心配でしたが、こちらが現実です
飯→一日三食。主に米とパン。米は東南アジア圏で出てくるであろうインディカ系の米よりも遥かに日本米に近い(輸入品)。
虫は食ってません(今のところ?)
服→着てます。なんならめちゃくちゃおしゃれ。
トイレ→洋式。便座付いてる。トイレットペーパーある。
と、これは家庭や地域によっても違うと思いますが、僕の生活はこんな感じ。
ちなみに僕が住んでるのは結構都会の方で、ホストファミリーも結構お金あるのかなって感じ。
健康的な生活ができてとてもありがたいのですが、その反面、「あれ、意外とインパクトに欠けるな」っていう感じでもあります。
街の雰囲気は予想通り
こちらがちょっと遠くからですが、シエラレオネの街並み。
タクシーたちが客を勧誘するクラクションの音が響き渡り、フルーツや飲み物、服の店が並んで、とても賑やか。
そして少し街を外れると、
いわゆる皆さんが想像する、「途上国」の景色を見ることができます。
正直これは、ウェブなどで検索して出てくるものとあまり変わりません。
兼ねてから「途上国」というワードに関心を持っていたので、あまりびっくりはしませんでした。
行くなら、何かを意識して
個人的な感想ですが、「途上国の暮らしを知りたい」くらいの動機だと、行ってもそんなにカルチャーショックは無い気がします。
どんな生活基準なのかは正直ググって出てくる情報と変わりません。
それに、国の人たちは至って笑顔です。彼らの笑顔からは貧しさを感じ取ることはできない。
スタディツアーや、ボランティアのプログラムなど、仲介団体がある程度現地の問題点を調べてくれてるような状況でないと、個人で彼らが困っていることをカウンセリングするのは結構至難の技に思われます。
自分の中で生まれる葛藤
今回、僕は「農業の視察」という軸も持ちながら、「アフリカの国の暮らし」を知りたいという思いがとても大きかったです。
でも、生活してて、自分は「貧困を探してしまっている」ということに気がつきつつあります。
滞在先での暮らしは至って普通。特に不満は無いし、周りにいる人たちも本当に生き生きとしてます。
「困ってる人」なんていない方がいいんです。なのに、「自分が見たかったものが見れてない」という思いがあることに、自分でも困惑しています。
相対的貧困と絶対的貧困。今僕が生活しているのは「相対的貧困の地域」だと思いますが、もはや貧困という言葉を使うことにすら嫌気が指します。
最高の笑顔で接してくれる彼らに対し、「途上国」というフィルターを持って接してもいいのだろうか。
僕はこの記事は絶対にシエラレオネの彼らに見られたくない。
「貧困」や「途上国」という言葉は、ここにいるときはなるべく使わないようにしたいな、とすら思います。
まとめ
国際協力をしたいから、アフリカ行ってみたい、というときは、ボランティアに参加するにしても、個人で行くにしても、「自分が何を得たいのか」ということをしっかり持って行くべきだなと思いました。
主体的な姿勢で臨まないと、「うんうん、なるほど、こんな感じの生活なのか」「貧しいはずなのにみんな笑顔だ!!」っていう感じのものしか得ることができないと思います。そして、これはわざわざ自分で行かなくても検索すれば見れます。
何が問題なのか、彼らが求めているものはなんなのか、ということを、自分から積極的にカウンセリングしていって、自分が何か事業を起こすとするならどうするか、的な視点を持っていくことが大事だな、と思いました。
じゃないと大して面白くはありません。何かアミューズメントがあるわけじゃないし、なんなら食べ物だって美味しいけど日本食には勝てないし。笑
まぁでも本当に、行く場所によるな、と思います。それこそ、「絶対的貧困」、人としての最低限の生活が確保できていない地域だって確実にあるし。
いろいろな現場に足を運んでみたいと思いました。
ということで、アフリカにきて数日間を過ごした上での感想でした!
アフリカに行くということ
こんにちは!渡航前で胃がキリキリしている神澤清です。
今、僕は人生初の海外として、「世界で一番いのちの短い国」、西アフリカのシエラレオネへの出国を間近にしています。そして、
なんでアフリカなの??
この質問をたくさんされてきました。
今回は、渡航前の感情整理という意味でも、なぜアフリカに行くのか?ということをまとめます。
目次
途上国の代表格、アフリカ
みなさん、アフリカにはどのような印象を持ちますか?
いろいろとありますが、特に、
「危なそう」「貧しいんでしょ?」
「病気とか大丈夫?」「治安は?」「何語話すの?」「食べ物大丈夫?」
など、いろんなこと印象や質問を聞きました。
中には、「アフリカっていう国があるのかと思ってた」って人もいました。
経済開発の最後の目標地とも言わられるほど、未だに経済成長をすることができず、世界的にいわゆる「発展途上国」として呼ばれることの多いアフリカという地域。
途上国って言葉を聞けばアフリカをイメージするほど、印象はとても根強いと思います。
アフリカに行った人はアフリカを危ないと言わない
シエラレオネに行くと決めて、公言してからというもの、本当にいろいろとみんなに心配してもらいました。
「アフリカでしょ!?危ないよ!」って。
そしてもちろん自分自身も心配だし、ほんとにビビってます。
でも、あることに気がつきました。
アフリカに行ったことある人に「アフリカ行きます」って言って、「危ないよ」って言葉が返ってきたことがありません。
いったいこのギャップはなんだろう?
僕は、
彼らは、実際に自分でアフリカに行き、身を持ってアフリカを知ってきている。
アフリカ=危ない、という固定概念の強さと、その大雑把さ。
ということがとても大きいと思います。
アフリカってなかなかパワーワードで、例えば有名どこだとタンザニアとか、ケニアとか、モロッコとか、数々の国々があるのに、ついつい一言でアフリカと片付けられがちです。
アフリカにもいろんなレベルがあります。
世界で最も無視されていると言われ、未だに内戦が続き、もはや渡航することすらできない「中央アフリカ」
はたまた都市ヨハネスブルグや美しい街、「ケープタウン」があり、着々と経済成長を遂げる「南アフリカ」など、治安や経済成長の度合いはアフリカの国々の中でもかなり違ってきます。
だから、一言にアフリカ=危ない、ではなく、まずは1つ1つ国ごとに評価することを忘れないようにするべきです。
実際にアフリカの国に行った人たちは、それを何よりも分かっているんでしょう。
ただ、それを差し置いてでも、やはりアフリカという地域が世界の中でも最も経済成長が遅れ、貧しい地域であることは間違いありません。
地球人として知るべきこと
僕らが住む国日本から遠く離れ、ほぼ真裏にあるアフリカ。
一体そこで暮らす人たちはどんな人たちなんだろう。
今も収入の低さなどの理由から食べ物を十分なら食べれず、発生する飢餓。
マラリアやエイズ、衛生面のインフラ整備がされてないことによって発生する病気により命を落とす人たち。
そして未だに発生する紛争やテロ。
広いアフリカのなかでこういった問題が様々な場所で多発していることは事実です。
でもこれは同じ地球の中で起こっている出来事。
果たして、僕らはこの事実を無視してもいいのでしょうか?
僕たち人間は1人では生きていくことがまず無理だと言ってもいいでしょう。
僕らの身の回りにあるものは、ほとんど全て、どこかの国の誰かの苦労や、どこかの国の資源によってできています。
知らない内に誰かに頼り、誰かの苦労や頑張りがなければ、生活できていない僕たち。
だから、同じ地球の中で起こっていることに目を向け、困っている人たちに手を差し伸べるということは、1人の人間としての使命とさえ感じます。
実際に、「行く」ということ
だからこそ、僕は自分で「アフリカ」というところに行って、そこの人たちがどんな生活をしているのかを知りたい。
実際に行かないと味わえないものを味わいたい。固定概念を全部ぶっ壊したい。
自分が行って、少しでも周りの人間に、正しい現実を知ってもらいたい。
そこで選んだのが、「シエラレオネ 」という国。
2002年まで約10年間ほど続いた内戦や、エボラ出血熱の大流行などが原因で、「世界で一番いのちの短い国」と呼ばれ、GDPランキングでは世界ワースト14位という、世界最貧困国の1つ。
ケニアなど、いろんな選択肢はありましたが、行ける中でも一番貧しい国に行きたかった。
ここに行けば、自分の生活とは全く違う、途上国の暮らしをよりダイレクトに学び、感じることができると思った。
百聞は一見にしかず。この言葉がまさしくそうだと思います。
自分も、「世界がもっと良くなって欲しい」と願い、行動を志す1人。いつからか「世界で困っている人たちを助けたい」そう思うようになった。
日々勉強をする中で、どうやったら世界がもっと良くなるのか、ということはいろいろ考えます。
でも僕が今やっていることは、「行ったこともないレストランの料理の評判を聞いて、食べてもないのに「あれはあのスパイスを加えれば美味しくなるぞ!」」と思い込んでるような状態です。
まずは実際に現場を見て、自分の身体で、頭でインプットをして言語化すること。そこから始めなければいけないと思いました。
なんでアフリカに?への答え
初海外でアフリカなの!?と本当に言われますが、他の地域、アジアなどの途上国に行って学ぶことと、アフリカの途上国に行くことは僕の中では結構違います。
貧困度ランキングの上位27番目くらいまでは全部アフリカの国なんです。
やっぱり統計上では「アフリカ=貧しい」し、貧困地域の代表格です。
アフリカの国々の経済成長が遅れる理由には、地理的な問題や、これまでの歴史など、他の地域の国とは違う特徴があります。
だから、アフリカ地域以外にも途上国はありますが、
「貧しいと言えばアフリカ」、そんな事実と固定概念がある世の中だからこそ、貧困国の代名詞であるアフリカの、その中の「シエラレオネ 」という国に行って、自分で知る。
これにはとても大きな意味を感じるし、言うまでもなくアフリカに自分で行かなきゃできないこと。そして、行くことで少しでもこれからの行動に「強い動機と説得力」が欲しい。
これが、僕の思う「アフリカに行くということ」
だから、僕は海外1カ国目にアフリカの中の「シエラレオネ 」という国を選びました。
これから
病気や盗難トラブルなど、いろんなことにビビってますが、やっとこの時が来たという思いです。
貧しいってなんだろう。シエラレオネってどんな国?何に困ってるの?はたまた何にも困ってない?
全部、行かなきゃ分かんない。
今回の記事だって、行く前の自分の中でのアウトプット。行ったら、これを書いた時の感情すらガラリと変わるはず。
この身体で、心でアフリカの国を学ぶ。
人生で味わったことのない強烈な新章がスタートする。
いざ、「未知の道へ」
人は共感することができるのか?
「あー!たしかに!分かる分かる!」ってフレーズはよく聞きますよね。
人と会話をする時に、「共感」を感じることはよくあるのではないでしょうか。
ただ、ちょうどいま「共感」という言葉を使いましたが、あえて言います。
人は真に共感することはできません。
今回は、「共感」について書いていこうと思います。
人は共感することができるのか?
単刀直入に言いましょう。100%は無理だと思います。
ただ、「共感しようとすること」と、「想像すること」はできます。
そして、共感しようとする姿勢は、相手にとってとても信頼を与えます。
僕らは、人それぞれ違います。これは間違いない。
例えばいくら双子の兄弟であっても、人生の中で見るもの、景色、会う人、聞く言葉、これらは絶対に違います。そして違う限り、人によってパラダイム(ものの見方)は絶対に違います。
この、パラダイムは人の数だけあって、一つとして完全一致するパラダイムは世の中に存在しないと思います。
いくら似通っていようが、絶対に人それぞれ違うんです。
僕らは他の人になることはできません。他の人の心を完全に理解することはできません。
いくらその人の過去やバッググラウンドを知っていても。
話の聞き方
7つの習慣では、人の話を聞く時の意識として、「自分の自叙伝を語るのではなく、相手を理解することに意識を向ける」ことが大切だと言います。
そして多くの人間はこれができておらず、相手の話しにどう返そうか考えながら話しを聞いているといいます。
相手が言ってきたことに対し、今までの自分の経験から、当てはまることを処方箋のように返しているんです。
そうではなく、大切なのはヒアリングをしっかりとして、相手がなぜそう考えているのかをなるべく汲み取って、相手に寄り添うことだといいます。
自分のアドバイスが必ず正しい!という思い込みは結構危険です。
ましてや、頭ごなしに相手を否定するのなんてなおさらです。
必死に共感しようとすること
例え、完全なる共感ができないとしても、人は話しを真剣に聞いてくれることに対しとても安心感を抱くと思います。
もし、相手からの信用を得たい場合は、まず自分が一生懸命話しを聞くことがとても大切なのではないでしょうか。
相手になることはできない。なら、人が困っていたり、悩んでいる時に1番して欲しいことは、共感のような言葉をかけてもらうのではなく、じっくりと話しを聞いてもらうことではないでしょうか?
しっかりと話しを聞いた上で、相手が何を求めているのかをしっかりキャッチする。アドバイスをするのには段階を踏むことが大切かもしれませんね。
まとめ
今回は共感について書きました。
共感ということはとても難しいです。ただ、やはり人に自分の気持ちを理解してもらった時はとても嬉しいですよね。
しっかりと話しを聞き、相手を理解する努力をすれば、きっと自分に返ってくるはず!!
日々の中で少しずつ意識してみましょう!
休学という選択肢。学生が休学しておいた方がいい理由
こんにちは、PassionMonsterの神澤清です!!
学生であれば中学、高校、どのステージであっても最終的に考えなければいけないのが、「進路」ですよね。
そんな中、大学生の間に与えられた特権の中に、休学というものがあります。
休学とはその名の通り、一年や二年という単位で学校を公式に休むというものです。
休学をして~という人を見かけることも少なくはないのではないでしょうか?
今回は、休学という選択肢について僕が思うことを書いていきます!!
休学、どんな理由のものが多い?
あまり大多数の人がしているというわけではありませんが、皆さんの周りにも一人はいたのではないでしょうか?
休学をする理由としては、主に以下のものが多いのではないでしょうか?
・旅に出る(世界一周や自転車で日本一周など)
・長期インターン、ボランティア
・仮面浪人
この中でも特に多いのが、上記の二つ、旅とインターンだと思います。
インターンは、例えば自分の所属地から離れているところ、違う県そして海外での活動の場合、そして旅に関しても、興津して言えることはまとまった時間が必要だという事です。
とても器用で、学校の事情がとてもイージーでない限り、これらをすることはとても体力が必要だと思います。
そして旅に関しては、多くの人がしたいと思っていることではないでしょうか?
人生の中で一番都合のいい時間、それが休学中!!
よく考えてみてください。小学校、中学校、そして高校。それらの間でまとまった時間、完全なフリーがとれることなどあったでしょうか?
せいぜい一か月程度の夏休みでしょう。
しかし、大学の休学は、一年、そして最大で二年、まとまった完全に自分の時間を得ることができるんです。
学校もない。自分がしようと思わなければバイトもない。
。。ニートやん。
そう思う方もいるかもしれませんね。
しかし、休学の最大の利点は、完全にフリーであるのにも関わらず、「学生」という肩書はその期間中もずっと持ち続けることができます。
この、学生という肩書は想像以上に大きいです。
学生という肩書を持ちながら休学期間中、自分の好きなことにチャレンジする。
すると、「学生だし、今の内にやっておきな!」「まあ、学生だからね!!」と、世間からなんともスイートなレンズで見ていただけることができます。
学生という肩書と所属があることで、とりあえずなんか失敗しても復学して新卒ブランドを手に入れることもできるんです。
とてもいいポジションで、自分のためのまとまった長期の時間が取れる、これが休学という選択肢の最大の利点でしょう
自分を見つめなおす機会になる
休学期間中は、全ての時間割を自分で決めることになります。
授業があるときと違って、時間制限のあることはアルバイトだけになりますが、これは自分の選択で入る時間や日数、そして始める、あるいは辞めることも自分の選択次第と考えると、自分の生活の管理の自由度は人生の中で最大だと思います。
その中で、日々自分で優先順位をつけながら生活をしていくと、自分が一番大切にしていること、好きなことはなんなのか、など自分に問うことが増えます。
そもそも目的があって休学をするという人がほとんどだとは思いますが、自分の好きなように時間をコーディネートするという時間と訓練は、実はとても貴重な時間だし、一度社会に出てからだと難しいし、学校に通っているときも何かしらの制約があってなかなかできません。
ついつい時間軸的に進みがちな人生の中で、ローリスクで自分と向き合う時間を得ることができるのが休学です。
興味を持たれる
休学の目的にもよりますが、休学をするということはそれだけでマイノリティーであり、珍しいことです。
だから、「今自分休学してるんです」と言うだけで、かならず「なんで?」というアンサーが返ってきます。
休学を迷い、結局はせずにそのままという人が大多数ということを考えると、やはり休学には壁を感じる人が多く、逆に休学をした人はそれだけで一つチャレンジをしたと見なされます。
復学し、卒業をした後でも、休学をして、何かにチャレンジしたというエピソードは間違いなくネタと自信になります。
まとめ
休学をするには、私立であればほとんどの場合休学のために費用がかかります(大学によって違います)。
しかし、国立であれば無料です。国立大学生は意外と知らないかもしれませんが、無料で休学ができるとうことはとても羨ましがられるし、恵まれています。
費用がかかること、また、友達と卒業時期が遅れるという寂しさもありますが、それでも休学により得れる期間は、人生にとても大きな意味をもたらしてくれると思います。
周りの人との相談を大事にしつつ、休学をぜひ選択肢に入れてみましょう!
入学式。新シーズン。友達100人できるかな♬→ちょっと待て。歌「一年生になったら」から考える日本の文化と「友達」について
こんにちは!PassionMonsterの神澤清です!
季節は春。卒業式を終え、次は入学式や入社式など、新しいステージへ移り変わるシーズンですね。
出会っては別れ、また出会う。出会いとは嬉しくも儚くもありますね。
桜が咲き、新シーズンが始まるころ、みなさんの頭ではこんな音楽が流れませんか?
「いちねんせーいになったーら、いちねんせーいになったーら、ともだちひゃくにんできるかな?」
そう。入学式の定番ソング、「一年生になったら」です。
ちょっと待ったぁ!!!
今回は僕がこの歌にズバッと物申したいと思います!!!
目次
一年生になったら
今回議題に挙がっているのはこの歌です。改めてご紹介します。
「一年生になったら」
歌:童謡・唱歌
作詞:まどみちお
作曲:山本直純
いちねんせいになったら
いちねんせいになったら
ともだちひゃくにんできるかな
ひゃくにんでたべたいなふじさんのうえでおにぎりを
ぱっくん ぱっくん ぱっくんと
想像は容易です。これを歌っているのはきっと小学1年生。
保育園や幼稚園を終え、新しく「学校」というものに行く。憧れのピカピカのランドセルを背負い、親族からは「わぁー!お兄ちゃん(お姉ちゃん)になったねぇー!」と言われ、自分で歩いて学校に行くという不安とワクワク感。
そんな中、想うことはきっと、友達できるかなぁ?ということ。
そして流れてくる、「一年生になったら」。
脳内には「ともだちひゃくにん」というワードがインプットされます。
恐らくどの世代も聞いたことのある、とてもポピュラーで有名な曲ですね!
つまり、新しいステージに行ったら友達たくさんできるといいね!みたいな内容で、そのマインドは小学生のみならず、それ以上の年代のどの方も持つものではないでしょうか?
友達100人。どんだけすごいか計算してみる。
僕が思ってることを率直に述べます。
友達100人なんてできん!!
です。
冷静にツッコミますが、学校で友達100人てめちゃくちゃ難しいですよ。
僕が小学生のころは、1クラス当たり40人くらいでそれが4クラスなので、一学年およそ160人ですね。
それをモデルに考えると、100/160人。つまり、約63%、半分以上の人間と友達になる必要があります。
そして大体仲が良くなるのは同性ですよね。
男子と女子が半分ずつだと仮定すると、この場合、80人:80人。
ここで考えてみましょう。
A君(男の子)がいます。この子が友達100人作るケースを考えます。
男子だけではなく女の子とも友達になれると仮定しても、割合は男7:女3ぐらいだとしましょう。
すると、単純計算、男の子の友達が70人、女の子の友達が30人です。
この学年の約87%の男の子、そして約37%の女の子はA君の友達です。
いや、番長かっ!!!
「友達」というものへの個人の定義にもよりますが、「いつでも電話をかけ、遊びに誘える」くらい(ちょっとハードル高めですが)を友達とすると、A君はもう遊ぶ人には困らないでしょうね。
男の子のみならず、女の子も30人も候補がいるんですから。
「友達100人」というものがどれだけ凄まじいものか分かっていただけたでしょうか?
もちろん童謡特有の、ワクワクした要素が入っている非現実的な歌詞であることは重々承知ですが、現実ではこんな感じです。
友達を「作らなきゃいけない」という意識
はい。とりあえず数字での理論的な屁理屈話しはここまでにします。
僕が言いたいのは、この歌から読み取れる「友達が多ければいい」みたいな意識はあまり良くないということです。
そして、この歌って実は日本の文化や風習の、一種の洗脳でもあるのではないかと思います。
まず言いますが、友達は決して数ではありません。そして、友達を作ることは大切ですが、「作らなければいけない、いなければいけない」というものでもありません。
ですが、この歌から掴むイメージは、「友達っていうのは作るものだし、多ければいいことなんだな!!」というものです。
これは、日本人特有の「集団意識の肯定と、マイノリティへの否定意識」を作っていると思います。
日本の強みとしてよく言われることが、「団結力の強さ」です。
戦時中には、小さい島国ながらも強い団結力で戦い、他国と肩を並べていました。
そしてポツダム宣言により終戦。日本は戦争により大きな被害を受けながらも、その後またも圧倒的な団結力で経済成長をしていき、他国から賞賛されるほどの技術力を手に入れ、先進国の仲間入りをしました。
日本のこの団結力はなんなのか?
それは戦後、「経済成長」を目標とした教育モデルにより植えつけられた集団意識が一つ大きな理由だと思います。集団意識を植え付け、一人ひとりの個性を抑制することによって、国家の目標遂行に当たり、なるべく反発者が出ることがなく、スムーズに政策を行っていくためです。
そして、歌「一年生になったら」は、まさに集団意識を促しているもののモデルだと思います。
友達100人という言葉を聞き、友達が多ければ良い、いなければいけないという意識付けによって、集団が形成されていきます。
その結果起こるのが、「仲間外れ」と「孤独感」です。
僕ら人間にはいろいろな個性があります。人と話すことが好きという人もいれば、逆に人と話すことが苦手で、一人でいる方がいいという人もいます。
後者にとっては「友達がいなければいけない」という意識は相当ハードなものでしょう。
集団が形成されていくと、必ずそれに入っていけない子はいます。
すると、「あいつあんまり友達いないよな。なんか静かだし」というように、段々と周りから離されていきます。その結果、いじめなどの問題も発生します。
友達は多い方がいいという意識は、友達がいるということをステータス化させ、優劣を生みます。
繰り返すようですが、友達がいなければいけないということはないんです。
一人でいるのが好きな人はそれでいいし、その人はその一人の時間に自分の好きなことをするんです。個性を磨けばいいだけなんです。
それを続けていけば、いつかは誰かに認められる力がつくかもしれません。
なのに、集団意識は、集団に属さない者をマイノリティとし、どこか良くない、問題児として扱います。そして集団内でも、なるべく外れないようにみんなに合わせた空気を読む行動を無意識の内に植えつけられます。個性ではなく集団。
なるべくみんなと一緒。なるべくみんなの意見に合わせる。日本人特有の人格の完成です。
この曲の真意が「みんなと仲良くすることが大切」という意味だとしても、小学生はそこまでの深堀はせず、「友達100人」というワードを純粋に受け止めます。
小学生に聞かせるということがミソなんです。早い内に身に着いた意識は定着化するし、まだ低年齢だから意識を植え付けやすいですからね。
友達は決して数じゃない
友達100人なんてできん!!と言いましたが、正確には「友達は数じゃない」ってことです。
よくこんなことを言う人がいます。「自分って友達少ないんだよね」って。
僕はこのセリフが大っっっっ嫌いです。
一体なにを基準にして少ないといっているのか。そしてこれを言う人は必ず一人は友達がいます。なぜなら目の前に僕がいるんだから。悩みとして話してくれているんだから、友達だろという(まあ個人の解釈ですが)
そして、他にもいるであろう友達が、本人がそんなこと言ってるの聞いたら悲しくなると思いませんか?僕は悲しいです。
裏返してみれば、「今の友達だけじゃ少ない」と言っているようなものです。
僕は、友達100人よりも、「腹を割ってなんでも言えて、気が合って楽しくて、こいつならずっと付き合っていける」と言える「親友」が1人でもいることがとても大切だと思います。
友達が少ないと思ってしまうのも掘り下げれば、前述した日本の教育や風習に根差した集団意識があるからです。友達少ないって言ってる人、それは日本の空気に「言わされてます」よ。気を付けてください。あなた洗脳されているかもしれませんよ。
友達のハードルなんて自分で決める
こんなことも言われます。「どっからが友達かってわからない」
、、、そんなん自分で決めるんだよ!!!
これこれしたから友達で、これはやってないから友達じゃないなんてルールどこにもありません。これは完全に人によります。
一回ご飯に行った、すれ違うと挨拶する、という人も友達だという人もいれば、いつも遊んでいて、本当に自分のことを話せる人だけっていう人もいます。
どっちもいいんです。どっちもそれぞれ違う良さがある考えです。
ただ日本の風習は、大体後者の人間をネガティブにさせることが多いと思います。「友達少ない」というセリフを言うのも大体後者です。
別に正解なんてないのに、「多い方がよい」という意識を植え付けられるからです。「友達100人」というフレーズなどと共に。
友達の定義なんて自分で決めればいいことだし、ましてや友達が多いか少ないかなんて基準はどこにもないわけです。
ちなみに僕の基準は「友達って思ったら友達」です。じゃあどうやったらそう思うの?と思いますか?
簡単です。思っちゃえばいいんです。試しにやってみてください。誰か一人思い浮かべて「君は友達だ!!」って。ほら、友達でしょう?(完全な持論(笑))
自分が「こいつは友達だ!!」って思ったらその人を大切にすればいいんです。
少ないも多いもありません。見えない周りの空気に植え付けられた物差しで測るのは虚しくなるだけです。
新シーズン。焦らずゆっくりと
これから新シーズンが始まりますが、まずは焦らずに。
早く友達作らなきゃ!!と思う必要はありません。自分の中の価値観と、目の前の人たちを大切にすることです。
一人でゆっくりしたいならそれでいいし。いろんな人と早く仲良くなりたいならそれでいいし。
その中で一人でも本当に信頼できる人に出会えればいいんです。そして一人でいたいならそれもそれでいいんです。
空気や風潮に流されず、どれだけ自分の大切なものを大事にできるか。人としての魅力はそこに出ると思います。
今日を持って曲「一年生になったら」は、こうしましょう
いちねんせーいになったーら、いちねんせーいになったーら、
腹割って話せてこいつだけはって思える親友が一人でもできたらいいな~♬
私は私の価値観に従って大切なものを大事にするわ~♬
編曲:神澤清
人目を気にしなくなるたった1つの方法。あなたもきっと変われます。
こんにちは!PassionMonsterの神澤清です。
みなさん、「人目」を気にしたことはありませんか?この問いに関しては、「はい」と答える人が大多数ではないかと思います。
日本人特有の、空気を読んだり、周りに合わせるという性格がなおさらそれを裏付けていると思います。
人目を気にするということにもレベルがあります。例えば、髪を切った次の日に人目が気になるっていうのもそうだし、人の前で話したりするときもそうです。
いろいろなシチュエーションがありますが、人目が気になり、自分の中の壁を破ることができない、という人はたくさんいるのではないでしょうか?
そこで今回は実体験をもとに、人目を気にしなくなり、自分の壁を破る方法をお伝えします。
目次
なぜ人目を気にするのか??
なぜ、何かをするときに人目が気になるのでしょうか?
その大きな原因は、「自尊心と周りからの評価の低下」への恐れだと思います。
恥ずかしいな。これを言ったら、これをやったら周りから嫌われるんじゃないかな?調子乗ってるって思われないかな?失敗して見放されたら嫌だな。
こういったマインドが根底にあるのだと思います。そして、このマインドは少なくとも誰しもが持ち合わせている、もしくは持ち合わせていた、ものだと思います。
自分は割と目立ちたがり屋の方ですが、コンサートとかで大声で演者に向かっていじりを飛ばすとかやる人すごいなって思うし、できたらいいなって思うけど、恥ずかしいって思いに負けます。
恥ずかしめを受けたくない、なるべく完璧な状態でありたい、嫌われたくない、そういった「プライド」が人目を気にし、一歩踏み出せないといった気持ちを助長しています。
人目を気にしなくなる方法
自分の壁を破るときに立ちはだかるのは、「人目への意識」ですよね。では、一体どうやって「人目」を気にしなくなるのでしょうか?
ここで、「一人ひとりが自分の中の壁を壊す」ということにコミットしたワークショップを行っている団体の活動内容をもとに話していきます。
ワークショップを実施しているのは、九州の学生、江口鮎香(えぐち あゆか)さんが運営をしている「夢を本にPROJECT」という団体。
あゆかさんは16歳のころに団体を立ち上げ、ワークショップを実施してきました。続けること今年で3年。
ワークショップの対象は学生から社会人までと幅広く、「壁を破らずにいる人」全員が対象。
また、時には不登校を経験している人のコミュニティに入り実施したこともあるそうです。
ワークショップを終えたお客さんは、自身がなかった、という人たちが「自身がある」に変わっていき、自分がやりたいと思ったことを実行に移し始める人や、中には大学を辞めるという決断ができたという人もいるといいます。
ワークショップの様子
では、一体どんなことをワークショップ内で行っているのでしょうか?
活動内容は、、
「一枚の画用紙に、〇年後の理想の自分とそれに向けて何をするかを付箋で書いていき、それを絵本にしていく」、、、です!!
代表の江口鮎香(えぐち あゆか)さん
え!!!ワークショップに行ってなんか魔法みたいなお話し聞いたりするんじゃないの!?と思う方は多いのではないでしょうか?
ですが、この作業こそが、自分を変えるためのとても大きな過程なんです。
あゆかさんは、壁を破れない原因として、「“自分が”どう在りたくてどうなりたいか」が見えていないことが原因だといいます。
「人目が気になる。なかなか思うように行動ができない。なんで自分はこんななんだろう」と、思うだけで止まる人って結構多いのではないでしょうか?じゃあ改善してどうなりたいの?という質問に対し、上手く明確に答えることができないという人が多いといいます。
そもそも自分が理想としているものはなんなのか?という目標意識がないと、今の自分の何が問題で、どこをどう直せばいいのかということは浮かんできません。
まずは、自分を見つめなおして見ましょう。人目を気にせず、自分の壁を壊し、その先でどう在り、どうなりたいのかを明確にしましょう。
僕は、「人目が気になる」という悩みを持つ人は、それをぶち破って成長をしたいという向上心を持つ人だと思います。絶対に、自分の中での理想像を持っているはずなんです。
そしてそれを本気で目指すように心がければ、自ずと日々の中での目標意識も変わるはずです。
夢を本にPROJECTで提案されているこの方法は、他の人と一緒にやることにより、アウトプットの量も増え、一層自分の価値観などを見つめなおす機会にもなりますが、やろうと思えば今からでも一人で行うことができますね!
人目が気になるんです→周りの人がナスだと思えば安心するよ!!みたいな古典的かつ抽象的なメソッドよりもとても具体的な方法だし、根拠づけられていますよね(*^_^*)
結局、誰だって人目は気にする
結局、誰だって人の目は気にするものなんです。しかし、それは当然です。
誰しもが人の目を気にしつつ行動するからこそ世の中成り立っているんだと思います。
人の目を気にするというのは、「相手の気持ちを考える」という優しさでもあるんです。
世の中みんなが全く人の目を気にしなくなったらみんなやりたい放題だと思いませんか?(笑)
人の目を気にするというのは一つのモラルやマナーの形であるわけです。
まずはこれを意識しながら改善に努めるといろいろと割り切りながら進んでいけるかもしれません。
進んでいく上で、プライドは持ちつつも捨てることも大切です。
「ここで失敗したら周りからの評価が下がるんじゃないか??」正直こういったマインドって結構無駄だと思います。
上には上がいて、下には下が、とかじゃないんです。自分はだれかより劣っているか優れているかという物差しだけで自分の価値を決めることはとてももったいないことです。
自分が打ち立てた、在りたい、そしてなりたい自分を追いかけることに必死になれば、周りの評価ってあまり関係ありませんよね?
自分の人生なんです。自己実現できるかどうかは自分次第です。そしてそれが達成できたかどうかも、他でもなく自分が決めることです。
自分が理想としている姿を実現できるようにしましょう。そうすれば、自然と周りにはそれを認め、一緒に歩いてくれる人が集まるはずです。
なりたい自分が分かっても、誰かに嫌われるのが怖い、と思ったら自分に聞いてみてください。
「自分がなりたい自分は、誰かに嫌われるような人ですか?」って。
あなたがなりたい自分は、きっと他の誰にも嫌な気持ちはさせないと思いますよ。
人って優しいから、成長したいという気持ちの根底には「誰かのため」という意識が働いていることが大きいんです。一歩を踏み出し、壁を破って向かった先には自分も、そして周りにも優しさが溢れているはずです。
最後に
僕たちはいつだって変わることができます。
自分が在りたい、なりたいものを目指す力が誰にだってあります。
いきなり街頭に行って路上ライブしろなんていうのは難しいかもしれませんが、やれることからコツコツと自分を変えることはできます。
理想を目指すためのヴィジョンと、少しの勇気の積み重ねです。
美談に聞こえるかもしれません。それは実際に今できている人のセリフだろって。
でも、もともと人目を気にして家に閉じこもっていた人も、ある一つのことがきっかけで一歩を踏み出し、自分を変えれた人は数えきれないほどいるんです。
スタート地点が同じ人はたくさんいるんです。
まずは、今回ご紹介した、夢を本にPROJECTがワークショップで行っている方法をやってみてください。
そして、夢を本にPROJECTは現在も活動しているので、ワークショップに参加してみるのもいいかもしれませんね!
行ってみて新しく仲間ができるのは単純に楽しいし嬉しいですからね。
先ほど挙げた団体のツイッターアカウントにて開催情報などが発信されます!!
この記事を読んでくださった方がどうか勇気を出し、自分を変えるきっかけになりますように!情熱を持った筆者も応援しています!!!(^^)!
脱臼したらしっかり治療しろ!肩がリカちゃん人形の僕の経験談
こんにちは!PassionMonsterの神澤清です。
「脱臼」というケガを聞いたことがある人は多いのではないでしょうか?
脱臼(だっきゅう、dislocation, luxation)とは、関節を構成する骨同士の関節面が正しい位置関係を失っている状態。 程度により完全脱臼と不完全脱臼(亜脱臼)に分類される。 靭帯や軟骨、骨が損傷を受ける為、骨を正しい位置に戻しただけでは治らず、ギプスでの固定か手術が必要で後遺症が残る可能性がある。
脱臼というケガはイメージがしにくいのか、いまいち重大性をとらえることが難しいかと思います。
そこで今回は、実際に肩を脱臼し、今も症状で困っている僕が、「しっかりと治療した方がいい理由」を説明します。
脱臼をした経験
僕が肩を脱臼したのは大学二年時の時です。部活動でハンドボールをやってました。
ある日の試合のウォーミングアップ中に、なぜかその日めちゃくちゃ気合が入っていて、いつもの倍ぐらいの力とテンションで動いていました。
ハンドボールは体の接触が激しいスポーツなので、当然ウォーミングアップでも体のコンタクトをとるメニューがあるわけです。
そのコンタクトメニューも、全力でやりました。
ディフェンスとして、相手に体全体でぶつかりに行くというメニューがあり、それをやっていた時のこと。
「うおっしゃーーい!!ファイトーーーーー!!!!」「グリっっ!!」「!?!?!?!?」
左腕で相手にぶつかりに行ったとき、左肩に今まで味わったことのないタイプの痛みが走りました。
ついさっきまで120%だった男のテンションが一瞬で0%になりました。
訳が分からないまま練習を離脱。肩も上がらないし、いつまでたっても激痛が止まりません。
これは今日の試合は無理だ、、、!!でもベンチには座って応援はしないと、、、
そう思い、試合前になり、アップの練習着からユニフォームに着替えようとしましたが、肩が全く上がりませんでした。
苦痛に耐えながらなんとかシャツも脱いで鏡を見たら、なんか肩幅が右肩よりも明らかに縮まっていました。
おいおいなんだよこれ、、、
この時に、「もしかして脱臼?」と痛みの正体を懸念し始めました。
なんとかユニフォームに着替え、いざ試合に。痛みでそれどころじゃない中、腕を抑えながら応援。
なんだろう。全然肩上がるようにならないなあ。そう思いながら、ゆっくりゆっくりと右腕で左腕を動かし続けていると、
ぱこっ!!「ん??あれ??」「動く!!」
痛みが急になくなり、さっきまでの違和感がほぼ0に。
肩が外れた!!という認識が先ではなく、「ぱこっ!!」が、明らかに外れていたものがはまった感覚だったので、
「はまった!!ん?あ、外れてたのか!!」
という感じで、そこで始めて肩が外れていたと認知しました。脱臼していたんです。
病院へ
無事帰ることができ、後日病院へ。
出来事を説明すると、肩を固定するための三角巾を渡され、三か月ほど運動はしてはいけないこと、リハビリに通うこと、と言われました。
肩の脱臼は、しっかりと治療しないと反復性となり、肩の固定力が弱まって、簡単に外れるようになってしまうからです。
その時は結構部活に対するモチベーションも高かったので、練習ができなくなることにとても苛立ちと焦りを覚えました。
診断を受け、後日部活に。
先生に言われた通り、練習に参加せず、右腕や下半身の筋力トレーニングに努めました。
しかし、、めっちゃ練習したくなる、、、
目の前でチームメイトたちが全力で練習をしているのを見ると焦りも感じたし、なにより早く復帰してプレイをしたい思いがどんどんと強まっていきました。
三角巾を首からかけ、そこに腕を置き、常に肩は固定した状態にするように言われましたが、一週間くらいしか続けませんでした。
周りの人に、「ひどいケガなの?」と思われることが恥ずかしかったから(笑)
そして、リハビリにも行きませんでした。これは、一回行ったときに、「こんなの意味あんのかよ!」と無知な頭で思ってしまったから。
軽い運動だけ、と言われていたのに対しても、運動欲が収まらず、先生の許可が出る前に走ったり跳んだりして。
肩の固定という処置に対して一切真摯に取り組みませんでした。
肩の脱臼って、正直痛いのは外れている時だけなので、はまった後って、もう大丈夫じゃん!って思ってしまうんですね。
ケガから約二か月経過ごろ、僕は練習に復帰しました。先生からは、三か月は激しい運動はしてはいけないと言われ、反復性になる恐れがあることも知っていながらです。
大丈夫大丈夫!!外れるわけない!!
そう思っていた復帰約二か月後に再び練習中に肩が外れました。またあの激痛が走りました。
一回目の時は自分ではめれたんだ!なら今回も!!と思い腕を自分で動かしてみますが、全くはまらず。
これは病院だ、と友人の車に乗せてもらい救急がある病院へ。
ベッドにうつ伏せになり、左腕をぶら下げ、一キロほどの重りを持ち、ぶらぶらと腕を振りながら、重さと遠心力で肩をもとの位置にはめる治療法をやりました。
しかしそれでもはまらず、最終的に先生の手ではめてもらいました。(最初からそれでよかったやん!!(笑))
そんなこんなで二回目の脱臼をした後は、いろんな場面で肩が外れるようになってしまいました。
これまた練習中の接触によるものだったり、懸垂をしてぶら下がろうとしたら外れたり、筋トレマシンを使うときに外れたり、、
二回目以降は、病院で行った治療法を模倣し、自分ではめるようになりました。
リカちゃん人形(着脱可能)の肩の出来上がり
もう何回も脱臼して、肩が外れては自分ではめてを繰り返し、完全に反復性の脱臼癖を持ってしまったんですね。
明らかに右肩とは肩の感覚が違い、なんというかゆるゆるです。
現在の日常生活では、リュックを背負うときに、やべ!!と外れそうになったり、寝ているときの姿勢が悪いのか、ポジションによって外れ、肩が外れるのと同時に目覚める時もあります。
寝ぼけながら肩が外れているので、リアクションもよくわからず、夢半ばで肩を自分ではめ、再び寝るみたいなことが何回もあります(笑)
ほんとに生活のいろんなシーンで外れる可能性があるんです。くしゃみして外れそうになる時もありますしね(笑)
脱臼はしっかり治そう!!
肩がリカちゃん人形とか言ってますが笑いごとじゃありません。
脱臼はしっかり治すに越したことはありません。
僕もケガをしたときに何人か脱臼経験者に当たり、その人たちも肩が外れながらもプレイをしていると聞き、じゃあ自分もいいやって思っちゃったんです。
考える上で、Yahoo!知恵袋の意見なども見て、しっかり治療した方がいいという声が大半であったにも関わらずです。
正直、後のことなんて後になってみないと分からない、って思いますよね。だからこそ、その「後」の経験をしている僕から言うと、
結局自分次第だから判断は人それぞれだけど、本当に後から困るよってことです。
ケガをしてもやる!!っていうスポ魂話はよく聞きますし、実際僕もそういうメンタルの方が好きです。
でもやっぱり今後ケガをする人が後悔ないように願います!!肩って生活の中でめちゃくちゃ使うし、大事ですよ!!
体は一生の自分の財産です!!
脱臼に関わらず、自分の体に正直に、時にはいたわってスポーツを楽しみましょう!!