passion野郎 清のofficialbrog

「世界を良くする行動と人生」を。

僕が「平和」を目指していくにあたって。今の想いと考え。

 こんにちは。PassionMonsterの神澤清です。

 

自分が関心があるというか、やっていきたいことはいわゆる「国際協力」です。

そして、夢は「今よりもっとたくさんの人がお腹いっぱいになる世界」を作ることです。

 

つまりは「平和」、世界の人たちが同時に笑える世界を作りたい、と思っているのですが、目指していくにあたって、最近いろいろと思うことがあるので、今回は自分のアウトプットということで殴り書きします。

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もそもなぜ国際協力ってあるの?

最近こんなことを考えてます。

「一体僕は、そして国際協力をやっている人たちは、なぜ世界を良くしたいと思うのか?」

 

自分がこれから進んでいく上で、この問いは常に思い返さないといけないな、と思いました。

 

結局、僕ら人間が一番大切にしなければいけないのが、「一度きりの人生を楽しむこと」だと思うんです。これは間違いないと思います。

 

自分もそうです。ただただ自分の人生を楽しめれば間違いはないんです。

でもそうじゃない。いつからか、この世界に生まれたからには困り、悲しんでいる人たちに目を向け行動しなければいけないと思うようになった。

 

だけど、考えるようになったんです。なぜ僕はこういった思いをもってるのか。

そして答えも出てます。それは「エゴ」です。

 

一体、なぜ、そしてなんのために自分は生まれてきたのか?そういうことを考えていた時期がありました。

そこでたどり着いたのが、「生まれてきたからには何かを残して死んでいきたい。誰かに感謝されたい」。きれいごとを抜きにすると、そんな承認欲求から生まれた思いなんです。

 

そして、もう一つ自分が大事にしていきたい価値観は、「たくさんの人の中で生き続ける」ということ。たくさんの人に出会い、知ってもらうことで、自分の中で新しく誰かが生まれ、誰かの中で新しく僕が生まれる。

これってすごく素敵なことじゃないですか?(我ながら)

これが僕の大切にしたい価値観であり、欲求です。

 

あくまで推測だけど、国際協力を目指す人、現にしている人って根底は自分の欲求を満たすためのものなんじゃないのかなあ。

 

ただ、エゴだとしてもこの思いを持ちながら、世界を良くしようと、世界で困っている人たちに目を向け、行動できるのが人間のいいところだと思います。

 

世界の一人一人が、どうすれば人生を彩らせ、楽しむことができるのか?

「みんなのエゴが達成される世界を作りたいという僕のエゴ」を達成するためには、やはりいろんな国や文化の価値観をもっと知る必要がある。

 

この間、国際協力ラボというイベントに参加した時にゲストの方が言っていた、「正義の反対は悪ではなくもう一つの正義」という言葉がまさしくそうだと思った。

 

戦争という名の暴力を起こしている人間たちを一概に「悪」という言葉で片づけてはいけない。その人たちはどういった理由や背景をもって行動をしているのか?元となる価値感はいったいどんなものなのか?

それを想像する一つの優しさを多くの人が考えれるようにならないと結局は正義と悪という言葉が二極化し、悲しみは連鎖していくのではないでしょうか?

 

先進国と途上国、もそうですが、人は事物を二極化する傾向があると思います。

その方が考える際に楽だし、名前がついていた方が議論がしやすいという理由もあると思います。そして、意識も刷り込みやすいです。

 

でも、国際協力を目指したての今だからこそ考えられることがあります。ちょっと陰謀論チックなものなのかもしれませんが、

 

先進国と途上国、そして国際協力という立場とシステムは、もしかしたら何者かが裏で得をするようなシステムになっているのではないでしょうか?

 

ja.wikipedia.org

 

国際協力の起源は19世紀ごろと言われています。

遥か昔から、貧富の差やそれによる争いなどはあって、それに対し、平和を望む人たちは一定数いたと思います。しかし敢えて言うならその構図はテンプレなわけです。

 

19世紀ごろから始まったということは、グローバル化によってモノの動きが世界中に広がったのと同時に、ヒトの動きも世界中に広がり始めた時期。つまり、「人助けのグローバル化」とも言えます。

 

そんな中、国境なき医師団やJICAを始める国際協力、支援団体の発足。国境を越えて、たくさんの人間が、遠く離れた人たちのことを思い、行動をしてきました。

 

でも、「遠く離れた人たちを地球の仲間として助けたい」という思いで今行われている国際協力も、どこかで必ずお金は発生していますよね。

つまりその中でも一つお金の循環が生まれていると思うのですが、長年続けられてきた国際協力の動きが、逆に悪い循環を生み出している可能性も十分にあるかもしれませんよね。

 

「国際協力に正解はない」という言葉もあるからこそ、今後自分が動いていく上で、常に自分や社会にたいして疑問や批判はもち続けて行動していきたい。どっぷりはまってからでは、なかなか抜け出したり考えを転換することは難しそうですからね。 

和って結局なに?

全人間史を見て、争いがなかった瞬間などあるのでしょうか?アウストラロピテクスを始めとする猿人類の時代には、生活は狩猟採集を中心として、その中で縄張り争いがあったり、いわゆる戦国時代にはイクサ(戦)が、そして近代では第二次世界大戦を代表とする世界的な戦争が。

どの時代にも名前を変え、常に「争い」は起こっていたのではないでしょうか?

 

ja.wikipedia.org

 

ウィキペディアでは、「平和(へいわ)は、戦争や内戦で社会が乱れていない状態。」とされています。

 

ただ、生物学的に僕らヒトや他の生物を見ても、そもそも生物は他の命を奪うことで生存し、繁栄するものですよね。

そしてその中でたまたま人間は知能が発達し、農業や畜産などを行うことで生態系ピラミッドの中で頂点に君臨しています。そして、いつの間にか、自分たちは生態系の中にいることを忘れ、弱肉強食の世界から逃れ、命のリスクなしに「食」を営むことができています。

 

生態系の中での僕たちということを前提に今使われている平和という言葉は、人間社会のみに焦点を充てているように思います。

 

前述したように、生物の本能的な部分として、生存、種族保存をするために、僕ら生物は絶えず他の命を奪い、いただきながら生きています。

 

そんな、他の生物の命を奪うことが大前提の中で、平和とは一体なんなのか。

 

こんなことを考えると、国際協力を目指しながらも、戦争は仕方ないようにも考えてしまいます。

 

しかし、僕らがそれでも戦争の歴史を忘れず、後世に伝え、平和を目指していくためには最も根本的な理由があると思います。

 

それは、「自分と周りの人間の命を失いたくない」という恐れではないでしょうか?

例えば簡単な例で言うと、「人に暴力をふるってはいけないよ」という文句は、まず自分の周りがひどい目にあってほしくないということ、そして一番は、その暴力の矛先が自分に向かないようにするための防衛的なものだと思います。

 

自分がされて嫌だ、怖いということは、「してはいけない」こととして決めるんです。

 

最近になって、真に利他的ということなんてあるのかという疑問をもつようになりました。

やっぱり人としての根本は、自分と愛する人が生きること、自分の欲求を満たすということであるのではないでしょうか?

正直、これに関しては一人で答えが出るものでもないので、こうして発信をし、それし対し返ってくる言葉を大切にしたい。

平和を目指す上で、常に哲学的問いは持ち続けていたい

 

たちができることって?

SDGsを知っていますか?知っている方も多いと思いますが、まずご紹介します。

2015年9月、「国連持続可能な開発サミット」が開催され、150を超える首脳が参加して、MDGsを受け継ぐ2030年までの新たな目標となる「持続可能な開発目標(SDGs)」が採択されました。
17の目標と169のターゲットからなるSDGsは、ユニセフSDGs採択前から重視してきた公平性のアプローチ、"誰ひとり取り残さない"を掲げ、①MDGsで達成できなかった課題、②MDGsには含まれていなかった課題、③新たに浮上してきた課題、を包括的に含んだ、先進国も途上国も取り組むべき普遍的な目標です。

 

www.unicef.or.jp

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「持続可能」というキーワードをもとに国連サミットで採択された、今後世界が目指していく共通目標ということです。

 

でも、僕は携帯もパソコンもガンガン使います。

携帯に使われているレアメタルが原因で起こっている問題を知っているのにです。

でもこれは国連の職員さんもそうなんだと思います。

結局使うものは使っているんです。

 

一度便利になってしまうと、後戻りをするのが難しいですよね。

正直、今いきなり携帯使うななんて言われてもかなり厳しいところではあります。

 

でもまず僕らができること。そしてやらなければいけないことは、まずは知ること。世界で起こっていることにアンテナを張ること。消費行動の時などに、モノの背景にどこまで考えを落とし込むかということ。身近な人を大切にし、愛すること。そしてその範囲を広げること。だと思います。

 

コンビニで買い物するときにレジ袋をもらわないようにするとか、そのレベルでいいんです。

その一歩を踏み出し、そして一歩を踏み出す人が増えることがSDGsの願いなのではないでしょうか?

 

多くの人たちが、近くの人、そして自分が想像できる範囲の人を思いやり行動することが平和に向けての最も近道なような気がします。

 

後に

今回は、平和や国際協力について自分に意見や考え、想いを発散しました。

 

でも、こういったことは言葉の問題もありますがとても難しく、一人では考えることができません。

正直、平和ということに対する共通の答え(自分の中での納得解はいくつか見つかったとしても)は一生かかっても見つかるものではないのかもしれません。

 

だからこそ、いろんな考えを持った人たちと出会い、語ることは一生続けていきたい。

常に問い、考え、動き続ける。そして、その時その時の自分の思いを発信していく。

 

そして明らかになっていることは、まだまだ勉強と経験不足であるということ。

これを読んでくださった方が、何かご意見などをくだされれば幸いです。

 

ありがとうございました。そしてよろしくお願いします。